将棋の奨励会三段リーグは昔はなかったですよね。今は半年単位で2人昇級ですか?三段リーグ発足前はどんなシステムでしたか?
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1974年3月までは、東西に分かれた三段リーグがありました。
1962年3月までは予備クラス、それ以降は奨励会A組と言っていました。
順位戦C級2組から降級して「四段」のまま戦っていた木見門下の先生(49歳)もいらっしゃいました。
半年ごとのリーグ戦は今と似ています。(といっても、半年で12局でしたから、人数により複数回当たる場合もありました)
東西の優勝者は四段昇段をかけて決戦。
負けたほうは三段のまま。
ただし、年度によっては前期後期2回の決戦の敗者によるプレーオフが行われたこともありました。
この場合、前期後期の敗者が同じ人ならプレーオフ無しで昇段です。
淡路三段のように東西決戦に2回敗れてなお西地区で11勝1敗で優勝したため、3回目は東西決戦無しで四段昇段という例もありました。
さらに青野三段は、8勝4敗で東地区初優勝だったのですが、決戦の相手がいないため不戦勝とみなされ四段昇段となりました。
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現在の三段リーグ制度は1987年からです。
半年で1人18局戦い、成績上位2名(つまり1年で4名)が四段になります。
それ以前(1974年~1986年)はリーグがなく
(1973年までは現行のものとシステムの違う三段リーグがあった)、
二段以下と同じように例会での成績(9連勝か13勝4敗)で
昇段するシステムでした。
三段だけでなく二段以下の奨励会員との対局もあったため
(二段とは香落ちの手合い)、森下卓九段は
「当時は(二段との香落ち対局のために)朝3時に起きて勉強していた」
と囲碁将棋ジャーナルで仰っていました。
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