2012年2月23日木曜日

将棋の奨励会三段リーグは昔はなかったですよね。今は半年単位で2人昇級ですか?三...

将棋の奨励会三段リーグは昔はなかったですよね。今は半年単位で2人昇級ですか?三段リーグ発足前はどんなシステムでしたか?


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1974年3月までは、東西に分かれた三段リーグがありました。

1962年3月までは予備クラス、それ以降は奨励会A組と言っていました。

順位戦C級2組から降級して「四段」のまま戦っていた木見門下の先生(49歳)もいらっしゃいました。

半年ごとのリーグ戦は今と似ています。(といっても、半年で12局でしたから、人数により複数回当たる場合もありました)

東西の優勝者は四段昇段をかけて決戦。

負けたほうは三段のまま。

ただし、年度によっては前期後期2回の決戦の敗者によるプレーオフが行われたこともありました。

この場合、前期後期の敗者が同じ人ならプレーオフ無しで昇段です。

淡路三段のように東西決戦に2回敗れてなお西地区で11勝1敗で優勝したため、3回目は東西決戦無しで四段昇段という例もありました。

さらに青野三段は、8勝4敗で東地区初優勝だったのですが、決戦の相手がいないため不戦勝とみなされ四段昇段となりました。



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現在の三段リーグ制度は1987年からです。

半年で1人18局戦い、成績上位2名(つまり1年で4名)が四段になります。



それ以前(1974年~1986年)はリーグがなく

(1973年までは現行のものとシステムの違う三段リーグがあった)、

二段以下と同じように例会での成績(9連勝か13勝4敗)で

昇段するシステムでした。



三段だけでなく二段以下の奨励会員との対局もあったため

(二段とは香落ちの手合い)、森下卓九段は

「当時は(二段との香落ち対局のために)朝3時に起きて勉強していた」

と囲碁将棋ジャーナルで仰っていました。

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