将棋のタイトル『九段』『十段』『竜王』についての質問です。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1158727441
補足で書ききれないのでこちらで質問します。
①結果論をあれこれ言うみたいで嫌なのですが、
なぜ八段が最高位だったのか?
段位の九段と九段戦の制度の混在させるような事をしてしまったのか(段位九段の時点で十段戦にしなかったのか)?
段位九段を作らず九段戦を続ける事でもよかったのではないか?
と思うからです。
1950年に九段戦をスタートしていながら、1958年の段位九段の制度になったのは存じておりますが、わずか8年のタイトルでしたから最初から九段戦を開催せず良いのにと思ったからです。
主催者や連盟側の管理体制にもいろいろあったのかもしれませんが、疑問を感じました。
②十段戦を残して竜王戦を主催する事はできなかったのか?
と疑問はあります。
主催新聞社が二つ主催を持つのに異議を唱える人がいるからでしょうか?
タイトル戦を解消する度に、最終九段タイトルホルダの大山康晴十五世名人や、最終十段タイトルホルダの高橋道雄九段がシードの特権があったとはいえ何か損な立場のように思ったからです。抗議があってもおかしくないと思います。
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①江戸時代、九段を名乗れたのは家元(大橋家・伊藤家)の中でも
歴代の名人だけだった、というのをどこかで読んだことがあります
(名人以外の当主で八段、家元以外の出身者は七段が最高。
「実力十三段」と言われた天野宗歩でも公式上の段位は七段だった)。
それを踏襲していた為ではないでしょうか…?
…では何故「九段」は特別なのか?
ここから先は完全に自分の想像ですが、中国では「九」という数字には
「果てしない」とか「無限の」とかいう形容の意味があるそうです。
例えば「九天」と言うと果てしない(広さの)空という意味。
日本だと「とても多い数」を「百」とか「千」とかと形容する
(「百人力」「千尋の谷」など)のと同じ感覚でしょう。
これになぞらえるなら、「九段」というのは「八段の上」というより
「果てしない強さの持ち主」という意味合いのほうが
当時は強かったのかもしれません。
…なので、安易に(?)「九段」という言葉を使わなかった(使えなかった)のでは、
と愚考した次第。事実のほどは不明です。
②竜王戦創設時、毎日新聞社は名人戦(順位戦)と王将戦の
2棋戦を主催(後者はスポーツニッポン社との共催)していましたので、
そんなことで文句を言う人はいなかったと思います。
なので単に金の問題でしょう。
囲碁でも序列(=契約金)1位の「棋聖戦」を主催しており、
いかに見栄っ張り?の読売新聞社(というよりあの「くそジジィ」)でも
そこまでの余裕はなかったのでしょう。
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①に関しては申し訳ありませんが知識がなく、お答えできません。
②二つの棋戦分の契約料を新聞社が負担してくれるなら併設は可能だったと思いますが、竜王戦を棋界の最高権威とすると決めた以上、読売新聞社がさらなる契約料を負担することは不可能だったでしょう。
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