将棋の読みについて。
<イメージと読みの将棋観2>で藤井九段が「将棋の読みは言葉で考える。頭の中で駒が飛び交うわけではない。」と説明されていて驚きました。
私の中で将棋の読みは「図形として捉えるもの」であって、手を読むときは頭の中で駒を移動させて結論を出していました。
藤井九段が言った「言葉で考える」とはどういうことか?想像で構わないので教えて下さい。
またできれば皆さんの読みの方法もお願いします。
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藤井9段の序盤中盤は極めて論理的で、
漠然とした良さというよりも具体的な主張を
求める将棋を指していますよね。
「言葉で考える」というのは全体を眺めたり他の局面と比較して
なんとなくこちらのほうが良さそうだ、ということではなく、
「この手順は大駒の働きがよくない」とか「相手の玉を薄くできる」と
いった言語化をすることで手の取捨選択をしているのではないかと
私は勝手に思っています。
つまり頭の中で駒を動かすのはただの作業であって、
読みではない、ということではないでしょうか?
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よくテレビで将棋の解説などを聞いていると、「この人は解説の仕方がうまいな」という人と「この人、将棋は強いんだろうけど、何を言ってるのか全然分からない」という人がいると思います。
後者の人というのは、「感覚」というものを重視しているのではないかと思うのです。つまり、局面を見て「理屈は抜きにしてここではこう指すものだ」というものを経験や直感などから判断していることが多いのではないか、ということです。また、羽生さんは「局面を絵画を見るようにして考える」ということを聞いたことがあります。
藤井九段は解説等もかなりうまいほうだと個人的には思います。それは、局面をできるだけ論理的にとらえて、例えば「ここでは駒得が大きいので自分の方が有利だろう」とか「この駒の働きを良くするにはどうしたら良いだろうか」と考えを進めて行くことが多い、ということではないでしょうか。それが「言葉で考える」ということだと思います。
「感覚(イメージ)」と「読み(論理)」というのは、我々アマチュアでも、無意識のうちに平行作業で行っているものだと思います。藤井九段はその論理ということを通常の人より強く意識している、ということではないでしょうか。
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これ、私も興味深いなと思っていました。
本来、プロ棋士としての将棋感覚はプロ棋士にしか説明できません。しかしプロ棋士は素人ではないので、素人がわかるように説明するのは困難なのが普通です。定跡や戦法理論などの第三者が客観的に検証可能なものではなく、「読み」という棋士として呼吸に等しいほど習慣的に行っている作業を、プロ棋士自身が語る場合、プロ棋士の言葉で語るのではなくて、プロ棋士が素人にも理解できる言葉を用いて素人目線で語るということが今まで少なかったように思います。「イメージと読みの将棋観」はこれをやってやろうとする企画ですね。
藤井九段の「読みは言葉である」という指摘は、この企画の意図を汲んでのご発言だと思います。私は、単に駒の映像が飛び交うのではなく符号を展開しているのだというのがひとつと、「読み」というものは階層的であって、文章(章/段落/文/文節/単語)の構成に似ているということをおっしゃりたかったのだと解釈しました。(本当は、概念を言語化するというソシュール的な話にも絡んできていると思いますが、言語学的なアプローチを持ち出すとややこしくなるので控えます(笑))
私自身は激弱なので、プロ棋士ほど明晰な「読み」をしているわけではないですが、こういう階層のようなものを感じたことはあります。上位層で選択肢が分かれて、それぞれに階層化している時、選択肢が分かれていて別ルートにあるはずのものが、もうひとつのルートを辿ったときに出現するものと同一であったり、関連していたりすることも感じたことがあります。そういう経験があるので、自然に納得できました。いずれにせよ、天才的なひらめきに頼るには限界があるということを早くから悟り、徹底した論理による序盤研究によってトップ棋士にまで昇り詰めた藤井九段らしい言葉だと思います。
それと最近思うのですが、藤井九段は勝負よりも内容に興味があるというか、「将棋の真理の解明のために」(藤井九段の発言より引用)将棋を指しているという感じがします。まるで科学者のように。心ない人たちが藤井九段の逆転負け等について盛んにネタにしたりしますが、勝負師としての存在と真理を追求したい気持ちの間で揺れる葛藤を全く軽視した心ない態度のように思えて、ファンとして残念でなりません。今日は順位戦最終日です。残留が懸かった勝負をしていますが、どうなるか注目していきたいと思います。
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映像変換の手間をプロは省けるんだと思います。
要は、羽生さんの有名な▲5二銀。
あれも私達って、言われて映像変換しないと、パッと浮かばないでしょう?
有名過ぎて何度も見てるから解るかもしれませんし、一手なら解るかもしれませんけど、30手くらいになったらわからないでしょきっと。
プロはあの読み上げの言葉だけで盤上のどこかを自動的に判断できるってこと。だと思います。
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「言葉で考える」・・・私が思うには、質問主様が頭の中で駒を移動させる事を藤井九段は「文字列化」してるんだと思いますね。
つまり・・・例えば初手から自分が角道をあけて、相手も角道をあける。これを質問主様は頭の中に盤面を浮かべて、その中で駒を動かしているんですよね?
しかし、藤井九段は駒を動かすのではなく、といいますか、頭の中で駒は動かしてるかもしれませんが、それが駒の映像ではなくて「7六歩、3四歩」といったような文字で浮かぶんだと思います。つまり映像と文字のコラボレーションですね。
それだけのことを当たりまえのように考えられるからこそプロ棋士なんでしょう。
ちなみに私は質問主様と同じで頭の中で駒を動かしています。その結果・・・途中で訳が分からなくなってしまうことも多々あります。文字列化して頭の中に浮かぶなら、駒をどう動かしたかなんてスグに思いだせるでしょうね・・・
とてつもなくハードルが高いですね・・・
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将棋で、手を読むと言いますが、3手一組とか、5手一組などのセットで考えていませんか。
私は早指しが好きなので、そういう組み合わせ中心に考えています。でないと時間が足りなくなりますから。
言葉は文字のセットでできています。手のセットで考えるということを、言葉で考えると表現しているのではないでしょうか。
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